中国調達:中国独禁法違反事件から感じるソリューションビジネスの憂鬱
誰も知らない中国調達の現実(229)-岩城真
前回のコラムでテーマにした上海福喜食品事件に続き、日系自動車部品メーカーが中国独禁法違反で摘発されたとのニュースが飛び込んできた。まったく話題に事欠くことのない中国である。(苦笑)
というわけで、今月は、一連の中国独禁法違反(外資系完成車メーカーの高額サービスパーツ問題)を現場視点、ものづくりの視点から考えてみたい。はじめにお断りしておくが、上海福喜食品事件同様、中国独禁法違反事件も政治的な意図が感じ取れる。「またかぁ」と思わないで欲しい。中国で報道される事件は、大なり小なり政治的意図を孕んでいると思ってよい。ご存じのように、中国に完全な報道の自由はない、つまり報道されること自体、政府によってフィルタリングされた結果なのである。よって「報道を許された」時点で政治臭を帯びてしまう。「中国独禁法違反事件は?」と言えば、「中国は人治国家と言われていますが、法治国家ですよ、法律はきちんと運用しますよ」といった政府のメッセージが込められているのではないだろうか――といった議論は政治・社会コラムに任せて、既述のように製造現場のバイヤー視点で考えていきたい。
最初に結論めいたことを書く。日本の製造業は、単なる“モノ”の販売から“サービス”を融合させたソリューションビジネスへと転換しようとしている。それが日本企業の生きる道であるとも言える。しかし、そのような付加されたサービスは、今までの商習慣からも、原価要素という観点からも、それ単独の値段がつけられない。結局のところは、部品価格にそれをオンすることになる。
例えば、建設機械に革命をもたらしたコマツ(株式会社小松製作所)のKOMTRAX(販売した建機の稼働状況を遠隔監視することで、部品の消耗、破損といった部品の需要に先回りして補用部品を用意し、売り込む)は、「部品の消耗を予知したから××円ください」とはならない。顧客の機械が止まろうが、サービスパーツの手配で何ヶ月も顧客を待たせる中国ローカルメーカーと、製造原価に対する販売価格だけを比較して不当に高いと言われては商売にならない。知的財産権同様、目に見えない価値を価値として認められないようでは困る。
もちろん、他国と比較しても、中国の自動車サービスパーツの販売価格が高いことは事実かもしれない。その原因は、新車販売価格を低く抑えないと中国ローカルメーカーに対抗できない事情がある。一部とはいえ高関税率の輸入部品を組み込んでいることと、一定以上の品質を保障する品質システムの維持には、相応のコストが掛かるのである。しかし、中国の消費者は、目に見えないリスクに対する安心に相応の価値を認めるとは限らないし、あるいは、それがわかっていても所得水準から安価なローカルメーカー製を選んでしまう。その結果、完成車は薄利で販売して、売り手が価格コントロールの可能なサービスパーツ販売で、収支のバランスをとるといったビジネスモデルに走らざるをえないのである。
このような事情を無視して、カルテル容疑の日系12社に対し、日本のあるマスコミ(日本でトップクラスのマスコミです)の「中国での法令遵守を甘くみている」とか「正々堂々と技術と品質で勝負しろ」といった批判的な論調には、セットメーカーの人間として、憤りを感じる。日系企業は、中国でもっとも法令を順守しているとの自負が筆者にはある。また、「技術と品質」だけでは勝てないのがグローバルビジネスであることは、広く周知の事実と言ってよいだろう。日本の電子産業が、韓国、台湾企業に技術や品質で勝っていても、ビジネス戦略や商品企画で負け、グローバル市場の片隅に追いやられた事実を前に、今さら「正々堂々と・・・」は、時代錯誤としか言いようがない。
「カルテルを容認、推奨しているのか?」と誤解されることを覚悟で書くと、中国市場のような表面価格だけが独り歩きしてしまう市場では、常軌を逸した価格競争が生まれ、その結果、品質や供給の安定、コンプライアンスが無視される。それを抑制することは、長期的な市場の成長や消費者保護といった観点からも必要である。もちろん、それを実現する手法がカルテルであると言っているのではないが、調査の対象企業の製品構成から考えて、欧米外資はもちろん、中国ローカルにも競合企業は存在する。むしろ、カルテルにより法外な価格を設定していたとしたら、日系メーカー群まるごとが、市場からの撤退を余儀なくされているはずである。(執筆者:岩城真 編集担当:水野陽子)
前回のコラムでテーマにした上海福喜食品事件に続き、日系自動車部品メーカーが中国独禁法違反で摘発されたとのニュースが飛び込んできた。まったく話題に事欠くことのない中国である。(苦笑)
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2014-09-09 10:00