中国経済の「新常態」(1)=関志雄
中国経済新論「実事求是」-関志雄
習近平総書記は、2014年5月に河南省を視察した際、「我が国は依然として重要な戦略的チャンス期にあり、自信を持ち、現在の経済発展段階の特徴を生かし、新常態に適応し、戦略的平常心を保つ必要がある」と語った。これを受けて、ニューノーマルを意味する「新常態」という言葉は、中国経済を議論する時のキーワードとして、メディアに頻繁に登場するようになった【注1】。ここでは、そうした議論を踏まえて、①新常態の特徴、②新常態下の経済政策のあり方について検討する。
● 新常態の特徴
中国における新常態への移行は、時期こそリーマン・ショックに端を発した世界的金融危機とほぼ一致していたが、本当のきっかけは、労働力不足に伴う潜在成長率の低下であると思われる。新常態に入った中国経済には、過去30年余りの高度成長期とは異なる次の四つの特徴が見られる。
1)減速する経済成長
中国における実質GDP成長率は、改革開放以降(1979~2014年上半期)が年平均9.8%、リーマン・ショック以降(2009~2014年上半期)でも同8.7%だったが、2014年上半期には7.4%と、2012年と2013年に続き、8%を下回っている(図1)。これは、需要の減退といった循環的要因というよりも、労働力不足などによる潜在成長率の低下という構造的要因によるものである。今後、従来の高成長に戻ることはもはや望めず、7~8%程度という中高度の成長を如何に維持していくかが課題となる。
図1 中国における実質GDP成長率の推移(図入りサイト参照)
経済成長率は、短期的には消費や投資、輸出などの需要項目の動向を反映し、供給要因によって決められる潜在成長率を中心とした上下変動を繰り返す。潜在成長率が低下すれば、実際の経済成長率もそれによって抑えられることになる。
ここでいう潜在成長率とは、一国(地域)において、一定期間内に各種の資源が最適に配置され、十分に活かされる場合に達する経済成長率のことを指す。中国では、近年、生産年齢人口の減少と、農村部における余剰労働力の解消を意味するルイス転換点の到来を背景に、潜在成長率が大幅に低下していると見られる。
成長率は、概念的に、「労働投入量の拡大」と「労働生産性の上昇」による寄与度からなるが、後者はさらに、「資本投入量の拡大」と「全要素生産性の上昇」による寄与度に分解することができる。1995~2011年の中国の平均成長率(潜在成長率と見なされる)は9.9%に達し、それを要因分解すると、労働投入量の拡大、資本投入量の拡大、全要素生産性(TFP)の上昇による寄与度は、それぞれ0.7%、5.3%、3.7%と推計される(図2)。労働市場における上述の二つの変化は、「労働投入量の拡大」と「資本投入量の拡大」を抑える要因となるため、全要素生産性の上昇が一定であれば、潜在成長率は低下することになる。
図2 潜在成長率の要因分解(1995-2011年)(図入りサイト参照)
まず、生産年齢人口が減少し始めることは、人口ボーナスが人口オーナス、つまり重荷に変わることを意味する。これまで、生産年齢人口が増え続けてきただけでなく、若者が中心の社会においては貯蓄率も高かった。生産年齢人口の増加は、労働供給量の拡大をもたらし、また、貯蓄が投資の資金源になるため、高貯蓄率は資本投入量の拡大につながった。しかし、今後生産年齢人口が減少し高齢化が進行すれば、労働供給量の減少と貯蓄率の低下を通じて、成長率は抑えられることになる。
また、ルイス転換点の到来も成長の制約となる。これまで無限と言われた労働力の供給は、次のルートを通じて、中国の経済成長を支えてきた。まず、農業部門における余剰労働力が工業部門とサービス部門に吸収されることは、直接GDPの拡大に貢献した。また、生産性の低い農業部門から生産性の高い工業とサービス部門への労働力の移動は、経済全体の生産性の上昇をもたらした。さらに、余剰労働力により賃金が低水準に維持されることは、所得分配の面において、資本収入の多い高所得層に有利に働き、ひいては高貯蓄と高投資につながった。しかし、完全雇用の達成は、工業部門とサービス部門にとって労働供給量が減ることを意味する。貯蓄率の低下も加わり、潜在成長率は低下せざるを得ない。
さらに、労働力不足に加え、資源と環境問題が深刻化しつつあることや、先進国との格差が縮まるにつれて後発の優位性が薄れてきたことも、潜在成長率を押し下げている。
2)改善する経済構造
潜在成長率が低下する中で、中国は、経済の量的拡大よりも質の向上を重視するようになり、その結果、産業や需要、そして所得分配の面において、経済構造の改善が見られている。
まず、産業の面では、資源と環境問題が深刻化するにつれて、資源の大量消費と環境の犠牲を前提とする工業を中心とした経済発展の限界が顕著になってきた。その代わりに、資源の消費量が低く、環境にも優しいサービス業が新しい成長分野として注目されている。実際、ペティ・クラークの法則に従い、中国においても、経済発展が進むにつれて、農業と工業のウェイトが下がる一方で、サービス業のウェイトが高まっており、GDPに占める第三次産業のウェイトは2013年に初めて第二次産業を上回るようになった(図3)。
図3 GDPの産業別構成の推移(図入りサイト参照)
また、需要の面では、賃金や資源価格の上昇を原因に中国製品の輸出競争力が弱まっており、貯蓄率の低下を背景に投資能力も低下している。その一方で、住民の所得水準の向上と社会保障の整備は、消費の拡大に寄与している。実際、民間消費の対GDP比が2010年を底に上昇傾向に転じており、投資と輸出に代わって、経済成長の牽引役になりつつある。
さらに、所得分配の面では、労働力不足に伴う賃金上昇は、労働分配率の上昇を通じて、格差の是正に寄与している。また、東部地域における土地や労働力不足を受けた一部の産業の中西部地域への移転をきっかけに、「西高東低」型成長が定着している。さらに、都市化の加速に伴う大量な農村人口の都市部への移転も、家族への送金などを通じて、都市部と農村部の格差の縮小につながっている。実際、「東部と中西部」、「都市部と農村部」、そして「富裕層と貧困層」からなる「三つの格差」が相次いで縮小傾向に転じており、それらを総合したジニ係数は、2008年の0.491をピークに、2013年には0.473に低下している(中国国家統計局)。
3)重要性増すイノベーション
これまで生産要素の低価格が「世界の工場」としての中国を牽引してきたが、生産要素価格の高騰を受けて、中国は経済成長の原動力を労働力や資本といった投入の量的拡大からイノベーションによる生産性の向上へと切り替えざるを得なくなった。イノベーションの加速を目指して、多くの中国企業は、海外から技術を導入することにとどまらずに、自ら研究開発に積極的に取り組むようになった。電子商取引企業のアリババや通信機器メーカーの華為をはじめとするハイテク企業の急成長に象徴されるように、イノベーションは、経済成長だけでなく、産業高度化の原動力になりつつある。
4)顕在化する金融リスク
経済成長の減速によって、高度成長期に潜むリスクが顕在化している。従来型の製造業では、多くの企業が過剰生産能力を抱え、経営が困難な状態に陥っている。また、当局によるシャドーバンキングへの制限強化を受けて、企業は資金調達難と資金調達コストの高騰に直面している。さらに、不動産市場が調整局面に入りつつあり、「土地財政」に頼っている地方政府の財源が圧迫され、債務返済能力が問われている。こうした中で、中国経済が金融危機を回避しながらソフトランディングできるかはまだ不透明である【注2】。
【注1】例えば、蘭辛珍「『新常態』に入った中国経済」『北京週報』2014年第25期、6月19日および「特別報道・新常態 平常心①:新常態の『新』とは」『人民日報』、2014年8月4日付。
【注2】国務院発展研究センターの李佐軍研究員は、これらのリスクを解決するために長い時間がかかることを理由に、中国が「新常態」よりもそれに向かう途中にあると主張している(「『新常態』を如何に理解すべきか」『北京日報』、2014年8月18日付)。そして、中国は依然として、成長の減速、構造改革の痛み、リーマン・ショック後に採られた刺激策の副作用という三重苦を強いられており、これらの問題が解決されてはじめて新常態に移ったと言えるという。
(執筆者:関志雄 経済産業研究所 コンサルティングフェロー、野村資本市場研究所 シニアフェロー 編集担当:水野陽子)(出典:独立行政法人経済産業研究所「中国経済新論」)
習近平総書記は、2014年5月に河南省を視察した際、「我が国は依然として重要な戦略的チャンス期にあり、自信を持ち、現在の経済発展段階の特徴を生かし、新常態に適応し、戦略的平常心を保つ必要がある」と語った。これを受けて、ニューノーマルを意味する「新常態」という言葉は、中国経済を議論する時のキーワードとして、メディアに頻繁に登場するようになった【注1】。ここでは、そうした議論を踏まえて、①新常態の特徴、②新常態下の経済政策のあり方について検討する。
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2014-10-06 12:00