<電影>は「映画」だが・・・・・・ 魯迅小説言語拾零(5)

日本語と中国語(388) (8)魯迅の“電影”は「幻灯」   冒頭に記したように、わたくしは文学者でも評論家でもないので、「藤野先生」に書かれている内容がすべて事実にもとづくものなのか、それとも虚構を含むのかというようなことは、実はどちらであってもよい。むしろ、以下に述べるようなこまごまとしたことばの問題の方が、よほど興味深い。   先に引いた竹内訳で「第二学年では細菌学の授業があって、細菌の形態はすべて幻灯で映して見せるが、授業が一段落してもまだ放課にならぬと、ニュースを放映してみせた」とある部分の原文は、これをもう一度引くと、次のとおりである。   第二年添教霉菌学,細菌的形状是全用電影来顕示的,一段落已完而還没有到下課的時候,便影几片時事的片子,…… 文中、竹内訳の「幻灯」に対応する原語は、なんと“電影”である。今日、わたくしたちが“電影”という中国語から思い浮かべるのは「映画」である。このことは中国の人々にとっても変わりはない。けれども、事実は竹内訳にもあるとおり「幻灯」でなければならない。20世紀の初め、日露戦争が終わったばかりの頃の医学専門学校が映画の上映設備を有していたとは、到底考えられない。だからこそ、中国刊の「藤野先生」の原文にも、“這里指幻灯片”(ここでは幻灯のこと)といった注釈がたいてい付されている。 魯迅が“電影”という語をどこで覚えたのか、またこの時代に「幻灯」を称して“電影”というのは一般的であったのかどうかは、おおいに気になるが、わたくしの手にはとても負えそうにない。 (9)では「映画」は誤訳か?  上の部分の、初期の増田訳はこうである。       第二学年には細菌の形状はすべて映画を使って教示された、授業が一段落してまだ次の講義までに時間の余裕があるときは、幾つかの時事映画をうつした、……(東西出版社、昭和21年)   ある人が、増田訳がここでの“電影”を「映画」としているのをとらえて誤訳であると決めつけた。或いは誤訳かもしれない。また或いは誤訳ではないかもしれない。どちらかと言えば、わたくしには後者のように思われる。    「映画」という日本語自体は幕末から明治初期にはすでに存在していたようであるが、それはカメラで写真を撮ること、或いは撮った写真を意味していた。今日使われているような意味で「映画」が使われるようになったのはいつ頃からか、これもよくわからないが、或いはわかっているけれどもわたくしが知らないだけかもしれないが、わたくしの幼時の記憶では、周りの大人たちは映画のことを「活動写真」、もしくは略して「活動」と称していた。「こんどの日曜にカツドウに連れて行ってやる」というのが、わたくしをいちばんうれしがらせた。昭和14年生まれのわたくしがようやく物心がつきはじめた昭和18、9年頃のことである。誰も「映画に連れて行ってやる」とは言わなかったように記憶している。この点、『日本国語大辞典』が「活動写真」を映画の旧称であるとし、「昭和10年(1935年)以降、次第に使われなくなった」とするのと、若干の時間のズレがある。   増田渉先生が「藤野先生」を初めて訳されたのは昭和10年代の初め頃のはずであるから、当時「映画」はまだ今日使われているような使われ方をすることは少なかった。だとすれば、先生は「映画」という語を幻灯映写用の写真もしくは絵くらいの意味で使われた――と考えるのは、親しく指導を受けた者の身びいきであろうか。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
冒頭に記したように、わたくしは文学者でも評論家でもないので、「藤野先生」に書かれている内容がすべて事実にもとづくものなのか、それとも虚構を含むのかというようなことは、実はどちらであってもよい。むしろ、以下に述べるようなこまごまとしたことばの問題の方が、よほど興味深い。
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2014-01-15 10:00