中国調達:“OKY”という愚痴から一歩踏みだすために何をすべきか
誰も知らない中国調達の現実(231)-岩城真
海外駐在者が集まると、異口同音に発せられる言葉がある。“OKY”である。“OKY”とは、「おまえ・きて・やってみろ!」の頭文字を取った造語である。海外で発生する様々な問題に対し、海外の環境を無視した日本の感覚で「あ~だ、こ~だ」と文句ばかり言う日本の本社に対する“怒り”や“憤り”の気持ちそのものである。
日本の本社との電話の最中に怒り心頭に発し「おまえ・きて・やってみろ!」と思わず声にしてしまった方もおられるかもしれないが、そこは日本の紳士的なビジネスパーソン、大半はグッと堪えるのである。だからこそ、お互いの事情を120%理解できる海外勤務者が集まると愚痴りあってしまう。上海市湖北あたりの日本料理店で盛り上がるのは、おおかた“OKY”談義の類ではないだろうか。
愚痴ることは悪いことではない。愚痴れる同僚や友人の存在は、精神衛生上大切なことだ。しかし愚痴っているだけでは問題は解決しない。海外と日本の意識の乖離が限度を超えれば、ビジネスとしての成功はあり得ない。だから、愚痴から一歩踏み出さなくてはならないのである。
プロバイヤーとしての「調達」と一般人の「お買い物」の違いをひとことで言ってしまえば、購買条件に対する説明責任だと筆者は考えているが、この“説明責任”こそが、愚痴から一歩踏み出すためのカギなのである。現地の特殊事情を理解しない日本の本社に対する説明責任を放棄してしまった言葉が“OKY”でもあるのだ。その“OKY”は、何度も何度も丁寧に説明したにもかかわらず現地の事情を理解しようとしない日本の本社に対して発した最後の言葉だったかもしれない。それでもあえて繰り返すが、原因を他者に求めても問題は解決しない。説明の方法を変えてゆくしかないのである。
海外勤務者にもっとも理解があるのは、本社にいる海外勤務経験者であると思う。もちろん、海外、ことに中国の変化は激しく、前任者の勤務時代と今ではまったく事情が異なることも少なくない。しかし、海外勤務をきっちり全うした人が理解していることは、個々の特殊事情ではなく、時(時代)と場(地域)によって、常識がまったく異なるという事情である。日本では、一般的な前例を常識的に応用すればたいていの問題は解決できるが、中国ではそうはいかない。そもそも“一般的”もなければ、“常識的”もない。そんな事情を理解できる海外勤務経験者の発言権が、少しでも日本の本社で強くなるように後方支援することが重要なのである。
そしてもうひとつは、せめて“OKY”のうちの“OK”を実現することである。海外の事情に理解がないのは概して本社の管理部門である。今後、日本企業のグローバル化、海外生産や販売の比率が拡大すれば、自ずと管理部門の海外勤務経験者は増加するだろうが、現状では、彼らの多くは仕事で海外に行った経験がない。いわんや中国の内陸部の田舎の事情など、彼らの想像力をはるかに超えているだろう。 筆者が中国の片田舎の現地法人に駐在していた時、当時の日本人総経理は、何かと理由をつけては、本社の管理部門の担当者を呼んでいた。当時の筆者は、現地の事情も理解していない経理や人事、法務といったセクションの担当者をなぜ呼ぶのか理解できなかった。総経理が彼らを呼ぶ理由は、まさに「現地の事情を理解していない」からだったのである。現地の事情を熟知して適切なアドバイスができる管理部門の担当者など、相当にグローバル展開の進んだ企業以外では皆無であろう。少なくとも、当時の筆者の所属企業にはいなかった。
“OKY”からの解放は簡単なことではない。しかし、それは小さな施策の積み上げでしか解決できない。“OKY”という愚痴をなくすことが、企業の真のグローバル化なのではないだろうか。(執筆者:岩城真 編集担当:水野陽子)
海外駐在者が集まると、異口同音に発せられる言葉がある。“OKY”である。“OKY”とは、「おまえ・きて・やってみろ!」の頭文字を取った造語である。海外で発生する様々な問題に対し、海外の環境を無視した日本の感覚で「あ~だ、こ~だ」と文句ばかり言う日本の本社に対する“怒り”や“憤り”の気持ちそのものである。
china,column
2014-11-11 10:30