中国ビジネスと原発問題の同質性

日本経営管理教育協会が見る中国 第344回--高橋孝治(日本経営管理教育協会会員)
原子力発電所は廃止か推進かという問題は決着が着きそうにない。筆者が思うにこれは「価値観」の違いであり、廃止派と推進派がわかり合うことはないように思える。つまり廃止派は、「得られるものに対して、命の危険という賭け金を支払うのは、合理的ではない」と考えていると思われる。これに対して推進派は、「命があっても豊かな生活ができなければ意味がない」と捉えているのではないだろうか。要するに、生命を至上の価値と捉えるか、経済を至上の価値と捉えるかの違いである。
そして、この構造は中国ビジネスにも当てはまるように見える。つまり、尖閣諸島国有化の反日デモ以降の中国ビジネスの推進派・撤退派の対立である。中国ビジネスの推進派は「何億人もの市場がそこにあるのにそれを捨てるのか」と言う。つまり、経済至上主義である。それに対し撤退派は、暴動や拘束(尖閣諸島漁船衝突事故の際が有名)、さらには政治至上という日本とは異なる理屈の国家であるなど、経済があってもそれを超えるリスクがあるからやめろと言う。究極的には価値観の違いであり、恐らくわかり合うことはないだろう。
問題なのは、中国ビジネスを推進する者は基本的に日本にいて現場を知らないのである。これは原発から離れた所にいて原発推進を叫ぶ人たちに相当する。これに対して、筆者の見る限り、中国にいて中国ビジネスを「やるべき」と言う日本人はほぼいないと言ってよい。これはまさに原発の近くに住んでいてリスクを知っている者だ。恐らく、中国に住んでいる日本人は、日中関係の良さ悪さもみな中国政府の思い通りであり、日本製品の売れ具合も実は政府によって操作できることを知っているのだ。つまり、民主集中制の元、思想の自由も制限されている中国では、政府が日中関係をよくしようと思えば、テレビ・新聞・教育などを通じてそのような世論を作ることができるし、逆もまた然りなのである。
「中国経済なくして日本は語れない」、「日本と中国は一体」という言葉も聞かれるが、これは「原発なくしてエネルギーはどうする?」という発言に相当する。これには小泉純一郎元首相が述べた「原発をとりあえずなくし、代案はその後考えればいい」という反論がそのまま使える。つまり「中国がなくても日本経済を語れる」ような手段を考えることが経済学者の仕事なのだ。
しかし、残念ながら今までそれはなされてこなかった。原発の真実についても情報隠蔽がなされていたことが話題になったが、中国ビジネスも全く同じだ。中国ビジネスを推進してきたのは主に経済界や経済学者であり、中国政治などの専門家は昔から「中国は政治が全てをコントロールできる特殊な国、とてもビジネス相手にはできない」と言っていたが、そのような情報は全て握り潰されてきた。
なお、写真は東京のクリスマスイルミネーションである。原発停止で電気不足と言いながら、節電意識はどこに行ったのだろう。まずは「電気が足りない」という事実を作ることが重要なのだろうか。中国ビジネスも同じで、「中国経済は日本に必要」という思い込みが既に作られている。
最近中国からの撤退を決めた日本企業の方が言った言葉が、奇しくも筆者の口癖と同じだった。この言葉で最後を締めくくりたい。「中国ビジネスを本気で正しいと思っているのなら、中国や経済の専門家を名乗るには知識が足りなさすぎるし、とりあえず時流に乗って推進しているのならこれはもはや詐欺だ」。これが現場にいる日本人の本音なのだ。(執筆者:高橋孝治・日本経営管理教育協会会員 編集担当:水野陽子)
原子力発電所は廃止か推進かという問題は決着が着きそうにない。筆者が思うにこれは「価値観」の違いであり、廃止派と推進派がわかり合うことはないように思える。つまり廃止派は、「得られるものに対して、命の危険という賭け金を支払うのは、合理的ではない」と考えていると思われる。これに対して推進派は、「命があっても豊かな生活ができなければ意味がない」と捉えているのではないだろうか。
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2015-02-02 01:15