名詞<照相>は呉方言 魯迅小説言語拾零(8)

日本語と中国語(391) (14)魯迅先生は語彙の使い方が少し下手なような   沖縄在住の中国の方から楽しいお便りを頂いた。今、取り上げている“照相”についてである。    私は“照相”はやはり動詞だと思います。そうすると中国の偉大な作家魯迅先生は文章を書くのは上手だが、語彙の使い方が少し下手なような気がします。それとも当時は中華民国になったばかりで、旧文言文の影響で語彙数がまだ少ないのかなとも思われます。     他にもいろいろ書かれていて、おしまいに「魯迅小説言語を研究している先生の次回の文章が私の疑問を解決してくれることを期待しています」とある。まるで「脅迫」である。なるほどわたくしは大学在職中に魯迅小説中の言語を取り上げて論文らしきものを何編か書いたことがあるけれど、「研究」などと言えた代物ではない。平凡な一読者として疑問点や気づいたことをノートとして発表したにすぎない。   手紙の主は言語を専門に研究している方ではないようだが、なかなか要所をよく衝いている。「文章を書くのは上手だが、語彙の使い方が少し下手なような気がします」というのはまさにそのとおりで、その理由を「旧文言文の影響で語彙数がまだ少ない」からかとしているのも、的外れではない。   思うに、旧時の知識人にとって、文章を書く手段としては、古代漢語を基礎にした文言文しか考えられなかった。司馬遷が書いたように、或いは韓愈や柳宗元が書いたように書いて、はじめて文章として認められた。   白話と称される『水滸伝』や『紅楼夢』の文章は、今日でこそ高い評価が与えられているが、当時にあっては極めて低い評価しか与えられていなかった。   ところが、五四の文学革命のなかで、老百姓(一般庶民)にもわかる白話(話し言葉)で物を書こうという運動が提唱されるに至った。率先して実行に移したのは魯迅であった。   けれども、これまでもっぱら文言で物を書いてきた魯迅にとって、話しことばで書くという作業は容易ではなかったはずである。勢い、頭の中では書き慣れた文言文で文章を組み立て、それをいちいち話しことばに翻訳していったに違いない。   「翻訳」といっても、まだ今日の普通話のような話しことばの規範が出来上がっていない。手本は読み慣れた『水滸伝』や『紅楼夢』、或いは自身の方言である紹興のことばや一帯の共通語とも言うべき呉方言であったに違いない。 (15)茅盾も使ってます!   本題の“照相”に戻る。『水滸伝』や『紅楼夢』の時代にはまだ「写真」は無いはずだから、名詞としての“照相”は紹興か広く呉語地区の方言ではないかということが、まず考えられる。しかし、悲しいことに、そのことを実証するだけの方言の知識が、わたくしにはない。だが、幸いなことに《漢語方言大詞典》という本が1999年に中華書店から出ていて、その“照相”の項を引くと、“照片”“相片”に相当する名詞として、上海、杭州、寧波、金華、紹興、温州と、広く呉語地区で使われていることがわかる。なお、ここでは余談ながら全五巻、本文7532頁からなる巨著の二人の主編者のうちのお一人は、わが宮田一郎教授である。   上に見たとおり、“照相”を名詞として使うことは、呉語地区では珍しくはないが、よく知られている文学作品から1例だけ拾っておくと、茅盾の《霜叶紅似二月花》(霜葉は二月の花よりも紅なり)に“這是他母親四十以前的照相”(これは彼の母の40歳前の写真である)というのがある。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
沖縄在住の中国の方から楽しいお便りを頂いた。今、取り上げている“照相”についてである。私は“照相”はやはり動詞だと思います。そうすると中国の偉大な作家魯迅先生は文章を書くのは上手だが、語彙の使い方が少し下手なような気がします。それとも当時は中華民国になったばかりで、旧文言文の影響で語彙数がまだ少ないのかなとも思われます。  
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2014-02-05 09:30