東京都心の「ゴーストタウン」・・・「活力ある街」に変身させた、日本人の知恵と努力

 中国では「鬼城(グイチェン)」という言葉がある。いわゆる「ゴーストタウン」だ。無計画な計画で各地に出現した。ポータルサイト「新浪網」は、一時は「夜間・休日のゴーストタウン」と化した東京都の一等地「丸の内」が民間の知恵と努力で活力を得たと紹介した。  記事は明治維新後の「丸の内」を、陸軍の駐屯地になったが、1890年には三菱財閥2代目の岩崎弥之助に払い下げられ、三菱系企業が集結したので「三菱村」と呼ばれるようになったと紹介。  1914年には東京駅が開業。丸の内地区は大企業が集中するアジア最大のビジネス街になった。記事は、第二次世界大戦時の空襲による壊滅的被害などには触れなかったが、戦後の高度成長以降に出現した状況として、「昼間はホワイトカラーであふれるが、夜になると人影は消える。週末にはまるで“山林”と同様」と説明した。  丸の内地区の不動産開発業者にとっては、夜間や週末の「ゴーストタウン現象」の解消が課題になった。そこで各社が共同で再開発委員会を立ち上げた。熟慮の上、最終的に大胆ではあるが最も単純な方法を採用。オフィスビルの1階部分はすべて商店にして、有名ブランド店を誘致して高級感あふれる街並みにする、地下には飲食街を設けるというプランだった。  記事は、「数年の努力により、“ゴーストタウン”は華麗に変身した。東京の流行の最先端の街となり、夜も休日もにぎやかになった。ビジネス街は商業街としても豊かな活力を持つようになった」と紹介。  さらに、緑の街路樹や彫刻群、買い物客と働くホワイトカラーが共存する街の写真を掲載して、「生まれ変わった丸の内」の魅力を読者に伝えた。 ********** ◆解説◆  同記事は、はっきりと書いたわけではないが、中国の「鬼城」問題を批判したとも読める内容だ。というのは、中国では地域の政治指導者の一存で再開発が行われ、結果として「鬼城」にしてしまうことが多いからだ。  単に計画性に乏しいだけでなく、再開発が功績として認められれば、他の地域に「栄転」になるとの思惑なので、開発後については「後任者の問題」と考える場合が多いとされる。極端な場合には、建設業者などと癒着して不当な利益を得る「腐敗の舞台」になっているとの指摘もある。  上記記事は、地元の将来を願う「民間業者の知恵と努力」で丸の内の再生が成功したと強調している。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)
中国では「鬼城(グイチェン)」という言葉がある。いわゆる「ゴーストタウン」だ。無計画な計画で各地に出現した。ポータルサイト「新浪網」は、一時は「夜間・休日のゴーストタウン」と化した東京都の一等地「丸の内」が民間の知恵と努力で活力を得たと紹介した。(イメージ写真提供:123RF)
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2015-07-03 15:00