日本と私の電話変遷―交換手時代からスマホまで

日本経営管理教育協会が見る中国 第295回--坂本晃(日本経営管理教育協会特別顧問) ● 日本での電話の変遷   1876年(明治9年)、アメリカでグラハム・ベルが電話を発明した。それから14年後の1890年(明治23年)、東京と横浜市内で、交換手による交換方式の電話サービスが、国営で開始された。東京~大阪間の長距離電話は9年後の1899年(明治32年)からであった。   交換手を経由しない自動交換は1923年(大正12年)関東大地震をきっかけとして、1926年(昭和元年)に開始されたが、全国の電話自動化の完成は1979年(昭和54年)と半世紀を要した。   自動電話交換機は3段階を経て現在に至っている。最初は機械式のステップ・パイ・ステップ方式、1955年(昭和30年)からクロスバー方式、1982年(昭和57年)から現在のデジタル方式が導入された。   国営から1952年(昭和27年)に日本電信電話公社へ、民営化されたのは1985年(昭和60年)のことである。   携帯電話は、1968年(昭和43年)にポケベルから開始、1985年(昭和60年)ショルダー型、2年後にハンディ型が登場した。1992年(平成4年)にNTTドコモが独立、2年後には他の携帯電話会社が発足し、当初のアナログからデジタル化は2001年に開始されている。   中国では固定電話の普及は遅れたが、携帯電話では日本より先行した。世界標準ともいえる低価格の製品を国産化し、短期間にスマホで普及した。 ● 私の固定電話の変遷 600号型   私の実家、現在の中国東北地方遼寧省で家庭用の固定電話が設置されたのは、1942年(昭和17年)ごろだったと思う。1945年(昭和20年)8月15日、終戦に伴い、まもなく不通になり、1年後に引き揚げるまで不通のままだった。   引き揚げ後、渋谷の実家都営住宅に電話が引かれた時期の記憶はない。正確には第2回目となる1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に、結婚してアパートを借りた。ここへ固定電話を引くのに半年待ちと言われ、かつ大卒初任給2万円の時代に7万円の債権の購入が必須であった。その年末に藤沢所在の神奈川県分譲住宅の抽選に当たり、引っ越した。ここでは早い機会に設置できた思う。   その後、引っ越しの都度、固定電話は移転できた。写真の固定電話機は、NTTの一時期標準的な600型電話機で、ダイヤル式であった。その後はFAX兼用になり、2010年(平成22年)からは現在使用中のIP電話になっている。 ● 私の携帯電話の変遷 ガラケーからスマホへ   2006年(平成18年)に東京のワンセグ放送が開始されたのと、モバイルSuicaの利用が可能になったことで、それまで自由が束縛される可能性がある携帯電話を避けていたが、現在ではガラケーと呼ばれる携帯電話機を購入した。   2011年(平成23年)3月11日(金)14:46の東日本大地震はお台場で遭遇したが、電話は不通でも、ワンセグ放送で震源地が宮城県沖とわかったのは15時頃だったと思う。   7年使用したが、ドコモの携帯レンタルが廃止され、2014年(平成26年)2月下旬に訪中するのに必要になり、急遽スマホを購入する羽目になった。最近は電車の中でも多くの乗客がスマホに熱中しているのを見て、何を見ているのか不思議に思っていたが、今後はその仲間入りすることになるのだろうか。購入したスマホは、とりあえず実用になりそうなフルHDの静止画と動画が撮れるので、別にデジカメを持ち歩く必要がなくなることを期待している。   写真は私の電話2機種。(執筆者:坂本晃・日本経営管理教育協会特別顧問 編集担当:水野陽子)                    
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2014-02-26 10:30