<时时>やっぱりひっかかりが 魯迅小説言語拾零(12)
日本語と中国語(395)
(22)もうしばらく寄り道を
例によって寄り道を楽しんでいますが、と言っても楽しんでいるのはわたくし一人で、もうとっくに退屈させてしまっているかもしませんね。まあもうしばらくお付き合いください。
藤野先生の“时时通信告诉他此后的状况”の“时时”を日本語と同じように「ときどき」と解してよいのかどうかということでしたね。
上の箇所に関する限り、「ときどき」でなんら問題がない、というよりもそう解するのがいちばん自然なように思われるが、ただすでに見てきたように、中国語としては“时时”は今も昔も“常常”すなわち「常に」「しょっちゅう」の意味でしか使われていないのが、ちょっとひっかかる。
そこで、或いは日本滞在が長く、日本語に堪能な魯迅が、日本語の影響を受けて、“时时”を「ときどき」の意味で使っているのではないかという推測が生まれてくるのですが、結論を出す前に、などと言っても結論らしきものにたどり着けるかどうかはなはだ心もとないのですが、とにかくもう少し他の箇所での魯迅の“时时”の使用例を見てみることにしましょう。
(23)魯迅の使用例
魯迅作品中の使用語彙などは、パソコンを駆使すればたちどころに検索できるのでしょうが、パソコン不使用確信犯の筆者は、なんてのは負け惜しみで、ほんとは使えないだけのことですが、本のあちこちに貼り付けた付箋やら手元のメモやらを頼りに、いくつかの用例を拾い出してみました。
四千年来时时吃人的地方,今天才明白,我也在其中混了多年;(狂人日记)
四千年来、絶えず人間を食ってきた場所、そこにおれも、なが年暮らしてきたんだということが、きょうやっとわかった。(竹内訳)
「狂人日記」は先に触れたように狂人の手記の形を借りて「人を食う」儒教的道徳規範の醜悪さを暴いた作品です。ですから、ここは「四千年来、絶えず人間を食ってきた」でなければいけませんね。増田訳も「四千年以来いつも人を食ってきた」です。
《一件小事》(小さな出来事)中の“这事到了现在,还是时时记起”が、「時々思い出す」(増田訳)と「よく思い出す」(竹内訳)に分かれることはすでに見たとおりです。
啊!这不是我二十年来时时记得的故乡?(故乡)
ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。(竹内訳)
あ!これが私が二十年この方、いつも思い出した故郷であろうか。(増田訳)
これは「片時も」「いつも」で一致。次は「絶えず」と「時として」に分かれるが、文脈からはどちらも通りそう。
“……其间时时夹着蛇鸣:‘嘶嘶!’可是也与虫声相和协……”(鸭的喜剧)
あいだに〈シュッ、シュッ〉という蛇の鳴き声が絶えずまじるが、それも虫の声と調和して……(竹内訳)
その間に時として蛇の「スースー」という鳴き声もまざって、だがそれも虫の声と一しょに協和して……(増田訳)
「あひるの喜劇」は魯迅・周作人兄弟の家に滞在したこともあるロシアの盲目の詩人エロシェンコの北京での日常のひとこまを描いた小品。エロシェンコ(1889年-1952年)はエスペラントを学び、イギリス留学後、大正3年に来日。のち、日本政府の追放を受け中国へ渡った。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
例によって寄り道を楽しんでいますが、と言っても楽しんでいるのはわたくし一人で、もうとっくに退屈させてしまっているかもしませんね。まあもうしばらくお付き合いください。
china,column
2014-03-05 00:45