【コラム】現場をウロウロする社長、執務室に篭る総経理

誰も知らない中国調達の現実-岩城真
「現場をウロウロする社長」とは、経営層でも自分の目で現場を見て、現実を把握しようとする日本的なマネージメント、働き方の象徴だ。対する「執務室に篭る総経理」とは、プロセスを部下に任せ、結果だけを求める中国的なマネージメント、働き方を象徴している。どちらのマネージメント、働き方が、優れているとか、そのような議論をしようは考えていない。
最近、日本のホワイトカラーの労働生産性の低さが、話題にされている。いいとこ取りを狙った、間違ったハイブリット、例えるならば、木造住宅の基礎に鉄筋コンクリートのビルを建てるようなチグハグ、これは最悪だ。労働生産性の改善どころか、改悪になっている。
結論を最初に書いてしまうと、日本的なマネージメント、働き方が、“効率” といった観点で、中国や欧米的なマネージメントに敵うはずがないのである。日本的なマネージメント、働き方、ものづくり・・・は、“完成度”、“確実性”といったところに圧倒的な優位性があるものだ。例えとして適切でないかもしれないが、中国の国内線のフライトのいい加減さ、つまり延着率といったら日本の比ではない。1時間程度の遅延は、遅延にならない。まる1日、空港やホテルで飛行機を待った経験のある人も少なくないと思う。しかし、目的地にたどり着けなかったという話は稀だ。
何をもって及第とするかは、むずかしいところだが、最低限の要求は満たしているのである。一方、日本の組織は、何重ものチェックやバイパスを備えているから仕事の完成度、確実性は高いが、当然のことだが効率は落ちる。それでは、中国の組織も効率を落とせば、日本のように完成度の高い仕事ができるのか、と言うとできないし、逆に日本は、完成度を下げれば効率をあげることができるのか、と言うと残念ながらできないだろう。それは、組織員の経歴も、教育方法も、何もかもが違う、ひとことで言うと文化が違うのである。
日本的な組織の代表ともいえるトヨタでは、「おまえ、あそこ行ったか、俺は行ってきたぞ」といった会話が役員の間で交わされる。いわゆる現場主義である。役員までが、ものづくりの第一線のことを知ろうとするし、知っていなければならないのである。中国の組織ではありえないし、あってはならないことだ。現場には、現場の長がいる。現場のことは、現場の長に任せているのである。それを役員がしゃしゃり出たら現場の長の面子は丸潰れ、組織は、廻らなくなる。トヨタでは、「者に聞くな、物に聞け」と言われるが、中国の組織の“者”とは、自分が選んだ部下のこと、部下に聞かずして誰に聞くのか?ということになる。中国の上司の仕事は、部下の仕事を管理することではない、部下そのものを管理することである。それぞれの仕事を任せて良い人材か、否かを判断することである。それでは、日本の上司は、中国のように人材を管理できるか? 逆に中国の上司は、日本のように部下の仕事を管理できるか?といったら、いずれもNoだろう。
日本的な組織は、基本的に内部昇進型である。優秀な担当者が、係長になり、優秀な係長が課長に・・・、優秀な役員が社長になる。大雑把に言ってしまえば、課長は、係長の仕事を熟知しているし、係長より上手にできる。ゆえに係長の仕事をきちんとフォローできるし、それによって仕事の完成度、確実性は、飛躍的に向上する。しかし、部下の仕事に上司も首を突っ込むのだから生産性が低下する。
一方、中国の組織では、上司は最初から上司、部下はずっと部下ということが多い。筆者の駐在していた国有企業でも、ある日、右も左もわからないような人が副総経理として共産党から派遣されてきたが、大きな混乱になることはなかった。つまり、彼は部下の仕事を管理することはできないが、部下という人材の管理をちゃんとやっていた。中国型の上司は、どこに行っても即戦力になるが、日本型では、そのようにはできないだろう。また、内部昇進型人事の構造的な欠陥として、役員として優秀な人が役員になるとは限らない。つまり、部長として優秀であれば、役員として優秀であるか、否かを問われることなく役員になってしまう可能性が高く、役員にしたら優秀な人材でも、部長として優秀でなければ、役員にはなれない。
日本企業は、短期間で多角化した結果、中途半端なハイブリット型を余儀なくされた。つまり、生え抜きでない上司が存在するようになり、部下は上司のために素人でも解る丁寧な説明資料作成に時間を掛けなくてはならなくなった。上司は部下の仕事の枝葉末節まで知ろうとするし、知っていないと、その上の上司から叱責される。これがホワイトカラーの生産性の低下を加速させる原因になっている。中国の組織で上司が問われるのは、結果責任と、その後のアクションだけだ。
例えば、日本では、調達部門が、サプライヤからの値上げ要請を受け入れると、どのような査定をして、値上げの妥当性を検証し、どのような交渉を経てサプライヤと妥結したものであるかの詳細な説明が求められる。しかし、ほんとうに大切なことは、その後のアクションだ。つまり、コストアップ分をほかの調達品のコストダウンや間接経費削減で吸収するのか?あるいは、販売部門を通じて自社の販売価格をアップさせるのか?といったことで、値上げまでのプロセス詳細を詮索したところで、コストアップの事実は変わらない。
ホワイトカラーの労働生産性を本気で改善させたければ、もっと根っこの企業文化から変えなくてはならないだろうし、それによって失うものが小さくないことも覚悟しなくてはならない。少なくとも、いいとこ取りを小手先で狙えば、何もかもを失うことにもなりかねない。筆者は、労働生産性は、ひとつの指標にすぎないと思っている、そうではないだろうか。
「現場をウロウロする社長」とは、経営層でも自分の目で現場を見て、現実を把握しようとする日本的なマネージメント、働き方の象徴だ。対する「執務室に篭る総経理」とは、プロセスを部下に任せ、結果だけを求める中国的なマネージメント、働き方を象徴している。
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2017-02-13 19:45