回想録とは言うものの 魯迅小説言語拾零(17)

日本語と中国語(400) (34)手紙は出さずじまい   “时时”が結局のところ「ときどき」なのか「しょっちゅう」「しばしば」なのかについては、後者に解すべきではないかという方向に「気持ちが傾いてきました」という、 はなはだ歯切れの悪い、結論とは言えない結論になってしまいましたが、別れるに際して藤野先生から写真を撮って送り、また手紙を書いてその後の様子を知らせるようにと言われた「私」は、師の言いつけを実行したのでしょうか。    我离开仙台之后,就多年没有照过相,又因为状况也无聊,说起来无非使他失望,便连信也怕敢写了。经过的年月一多,话更无从说起,所以虽然有时想写信,却又难以下笔,这样的一直到现在,竟没有寄过一封信和一张照片。从他那一面看起来,是一去之后,杳无消息了。    私は仙台を離れてから、多年写真をとったことはなかったし、また状況も面白くなかった、それをいったところでただ先生を失望させるばかりだから、手紙さえ書こうという気にならなかった。年月がたつにつれて、一そう何からいっていいのか分らなくなり、それで時には手紙を書こうと思うこともあるのだが、しかし筆をとりそびれてしまう。このようにしてずっと現在に至るまで、ついに一本の手紙、一枚の写真も差しあげたことがない。先生の方からいえば、私は一たび去った後は、杳(よう)として消息なしである。(増田訳)      結局は手紙も出さずじまい、写真も送らずじまいに終わってしまうのだが、師に対する思慕の情が感動的に伝わってくる一文ではある。 (35)ノートは博物館入り   先生が赤ペンで訂正してくれたノートについては、こう書かれている。    他所改正的讲义,我曾经订成三厚本,收藏着的,将作为永久的纪念。不幸七年前迁居的时候,中途毁坏了一口书箱,失去半箱书,恰巧这讲义也遗失在内了。责成运送局去找寻,寂无回信。    先生が訂正して下さった講義筆記を、私は前に三冊の厚い本に装釘して、とっておいた、それを永久の記念にするために。不幸にして七年前、転居のとき、中途で書物を入れた荷箱が一つこわれてしまい、半数の書物を失ったが、ちょうどこの講義筆記もその失われたものの中にあった。運送屋にさがすようにきびしくいってやったが,梨(なし)のつぶてで何の回答もなかった。(増田訳)   なんとも痛ましい出来事ではないか。   ところがである。紛失して出てこなかったはずのノートが北京の魯迅博物館に保存されているのである。先のまだ存在しなかった日暮里駅といい、幻灯事件中の中国人が銃殺される場面といい、回想録の体裁をとってはいるものの、作品をより効果的に仕上げるために、時にフィクションの要素を交えているのである。 (36)写真は書斎の壁に   では「惜別」の写真はどうか。“只有他的照相至今还挂在我北京寓居的东墙上,书桌对面。”写真だけは今も北京の寓居の東側の壁に、書きもの机に向かい合って掛けてある、というのである。掛けてあったかどうかはともかく、この写真は確かに存在し、作品中に描かれているように八の字ひげをはやし、眼鏡をかけ、蝶ネクタイを結び、黒く痩せた藤野先生の面影を容易にしのぶことができるのである。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
“时时”が結局のところ「ときどき」なのか「しょっちゅう」「しばしば」なのかについては、後者に解すべきではないかという方向に「気持ちが傾いてきました」という、 はなはだ歯切れの悪い、結論とは言えない結論になってしまいましたが、別れるに際して藤野先生から写真を撮って送り、また手紙を書いてその後の様子を知らせるようにと言われた「私」は、師の言いつけを実行したのでしょうか。
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2014-04-09 00:00