『孔乙己』を読む 魯迅小説言語拾零(19)

日本語と中国語(402) (39)一推しは『孔乙己』   魯迅と言えば、これまでに見てきた回想録の『藤野先生』を除くと、日本でよく知られているのは、『狂人日記』や『阿Q正伝』、『故郷』などの小説がほとんどです。では魯迅は小説家かと言いますと、確かに小説は書いていますが、書き残した作品の分量から見る限りでは、生涯の仕事量の何十分の一かに過ぎません。   先にもちょっと触れましたが、作品の数は『吶喊』『彷徨』『故事新編』の三つの作品集を併せて33篇、しかもそのほとんどが短篇です。うち、いちばん長いのが代表作に数えられている『阿Q正伝』で、これとて手元の全集でわずか48頁に過ぎません。何度か触れた『小さな出来事』(原題《一件小事》)に至っては、たった2頁と4行です。   その数少ない小説のなかで、わたくしのいちばん好きな作品はと言うと、代表作の『阿Q正伝』ではなく、むしろこちらもわずか5頁足らずの『孔乙己』です。 (40)咸亨酒店    『孔乙己』は、この名前の由来についてはいずれ説明しますが、作者の身辺にモデルを求めたと思われる落ちぶれた知識人、中国語でいうところの読書人・孔(コン)乙(イー)己(チー)を風刺的に描いています。風刺のかげに、なおいくぶんかの同情を感じさせ、そのことが彼のような人物を生み出した社会への批判をいっそう効果あるものとしているように思われます。   この作品は、初め雑誌『新青年』の第6巻第4号(1919年4月)に発表され、のち第一創作集『吶喊』に収められました。『孔乙己』の書き出しはこうです。    鲁镇的酒店的格局,是和别处不同的:都是当街一个曲尺形的大柜台,柜里面预备着热水,可以随时温酒。        魯(ルー)鎮(チェン)では、酒屋の構えがよそとちがっている。往来に面して、曲尺(かねざし)型の大きなカウンターがあり、カウンターの内がわにはいつでも燗(かん)ができるように湯が用意してある。(竹内訳)   魯鎮というのは架空の地名です。鎮(ちん)というのは比較的大きな町。魯迅の故郷の紹興の町か村をモデルにしていると思われます。ただ、この地名は他のいくつかの作品にも使われていて、設定はそれぞれに異なります。    「酒店」というのは酒屋のことです。今日の中国では「酒店」とか「大酒店」とかがホテル名に使われていますが、ここではもちろんそうではありません。旧時の中国の常として居酒屋ふうの営業も兼ねていたようです。   近頃は目にすることが少なくなりましたが、わが国でも、一昔まえは酒屋の片隅に冷や酒を量り売りする場所が設けられていてのんべえのおじさんが南京豆かするめを肴に一杯やっているのを見かけましたが、あれに近いかな?いや、あれはなにやらこっそり闇で営業しているように見受けられたが、こちら、つまり魯鎮のほうはれっきとした居酒屋を兼ねていました。   物語の語り手の「私」はそんな酒屋の小僧。無器用だというので上客の給仕はさせてもらえず、もっぱらお燗の番をさせられる。それも客の目をごまかして水を割るのが下手だと言って、主人、すなわち「掌柜(ジヤンクイ)」はいい顔をしない。幸い紹介者の顔が広かったので、首にはならずにすんだが……。   この店の名が「咸亨(シエンホン)酒店」。魯迅の家の近くに同名の酒屋があったという。今、紹興の駅近くに同じ咸亨酒店という名の大きなレストランがあるが、かつての咸亨は小さな酒屋であった。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
魯迅と言えば、これまでに見てきた回想録の『藤野先生』を除くと、日本でよく知られているのは、『狂人日記』や『阿Q正伝』、『故郷』などの小説がほとんどです。では魯迅は小説家かと言いますと、確かに小説は書いていますが、書き残した作品の分量から見る限りでは、生涯の仕事量の何十分の一かに過ぎません。
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2014-04-23 09:45