『孔乙己』を読む(二) 魯迅小説言語拾零(20)
日本語と中国語(403)
(41)紹興酒は燗をして
中国にはお酒を燗して飲む習慣がないという話をよく耳にしますが、そうとも限りません。確かにあの度の強い蒸留酒の「白酒(パイチウ)」は温めずに常温のまま飲みますが、代表的な醸造酒である紹興酒は温めて飲むのが普通のようです。少なくともこの酒の本場である紹興一帯ではそうです。前回引いた『孔乙己』の冒頭部分にも”柜里面预备着热水、可以随时温酒”(カウンターの内がわにはいつでも燗ができるように湯が用意してある)とありますし、魯迅の他の作品中にも酒を温める場面が描かれています。もっともこのお酒を飲むのは紹興を中心とする江南一帯に限られていて、北の方の人は飲む習慣がないようです。いつか北京で、わたくしが紹興酒を飲むと話したところ、あれは“料酒”(料理用の酒)だと言って笑われてしまいました。
(42)茴香豆を“下酒物”に
さて、「私」が小僧として燗番をしていた咸亨酒店にはどんな客が来ていたのでしょうか。
做工的人,傍午傍晚散了工,每每花四文铜钱,买一碗酒,――这是二十多年前的事,现在每碗要涨到十文,――靠柜外站着,热热的喝了休息;
労務者たちが、昼か夕方の仕事をおえたあと、銅銭を四枚出して酒を一杯買い――これは二十年以上も昔の話、いまでは一杯が銅銭十枚はするだろう――カウンターにもたれて立ったまま熱いところをひっかけて息をいれる。(竹内訳)
「私」イコール魯迅ではありませんが、魯迅は1881年生まれですから、仮に「私」と魯迅を重ねてみますと、「私」は12歳の時に小僧に入ったとありますから、この話は1890年代の中頃ということになります。その頃1杯が4文、つまり銅銭4枚だったのが、20数年後の今、すなわち『孔乙己』が書かれた1919年頃には10文になっているというのです。当時の中国の物価事情を知るうえで興味深い数字ですね。
“靠柜外站着,热热的喝了休息”( カウンターにもたれて立ったまま熱いところをひっかけて息をいれる)。ねじり鉢巻きではっぴ姿の労働者が屋台にもたれて焼酎でもひっかけている様子を想像すればよいのでしょうか。
さて、この立ち飲みの「あて」は何かと言いますと、おっと、「あて」は関西弁かな?「つまみ」のことです。
倘肯多花一文,便可以买一碟盐煮笋,或者茴香豆,做下酒物了,
もう一枚奮発すれば、塩筍(しおたけのこ)か茴香豆(ういきょうまめ)が一皿出て、つまみになる。(竹内訳)
“盐煮笋”は塩漬けのタケノコを塩出しして煮たもの。“茴香豆”は茴香(ういきょう)を香料にして蚕豆(そらまめ)を煮たもの。“碟”は小皿。どちらも小皿1杯が銅銭1枚であったというのである。“下酒物”が「あて」、すなわち「つまみ」。古くから使われている語であるが、今日では南方語に傾く。
如果出到十几文,那就能买一样荤菜,但这些顾客,多是短衣帮,大抵没有这样阔绰。
もし銅銭十数枚出せば、肉料理が一品買える。しかし、ここへ来る客種は、仕事着のものが多いから、そんな贅沢なまねはめったにしない。(竹内訳)
“荤菜”は肉や魚を材料にした料理、すなわち「なまぐさ料理」。しかし、ここへ来る連中は料理よりも酒で、つまみに金をかけたがらない。“短衣帮”は魯迅の造語か。ぞろりと長いのを着たインテリや金持ちに対して短い仕事着を着た労働者を指している。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
中国にはお酒を燗して飲む習慣がないという話をよく耳にしますが、そうとも限りません。確かにあの度の強い蒸留酒の「白酒(パイチウ)」は温めずに常温のまま飲みますが、代表的な醸造酒である紹興酒は温めて飲むのが普通のようです。少なくともこの酒の本場である紹興一帯ではそうです。
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2014-04-29 17:15