『孔乙己』を読む(三) 魯迅小説言語拾零(21)
日本語と中国語(404)
(42)“短衣帮”と“穿长衫的”
魯鎮の酒屋の様子はだいたい以上のとおりであるが、それではこれらの店に来る客は「カウンターにもたれて立ったまま熱いところをひっかけて息をいれる」“短衣帮”(短い仕事着の連中)ばかりかと言うと、そうとも限らない。長衫(チャンシャン)とか長袍(チャンパオ)とか呼ばれる長い中国服を着た文人や金持ち連中も来るには来るが、彼らは別に設けられた奥の間に座ってゆっくり飲むのである。
只有穿长衫的,才踱进店面隔壁的房子里,要酒要菜,慢慢地坐喝。
長衣を着たものだけが、店どなりの部屋へ行き、酒や料理をあつらえて、ゆっくり腰を落ちつけて飲むのである。(竹内訳)
“穿长衫的”の“长衫”はひとえの長い中国服のことで、別に“长袍”と称されるあわせや綿入れのものもあるが、ここでは“长衫”で文人や金持ちの着る長衣を代表させているようです。
労働に従事する人々とその必要のない文人や金持ち連中とを着る服によって“短衣帮”と“穿长衫的”とに分け、さらに前者を「立ったまま熱いところをひっかける」、後者を「ゆっくり腰を落ちつけて飲む」と描き分けるのはうまい手法ですね。
長いぞろりとしたのを着用するというのは、自分が肉体労働をしなくてもよい階級に属しているということを示したいに違いありません。
(44)厳重な監督の下で
先にもちょっと触れたように、12歳の時から鎮のはずれにある咸亨酒店に小僧に入りますが、主人からおまえは見るからに気が利かないから長衣を着た上客の給仕はつとまるまいと、表の方を手伝うように命じられます。
表の仕事着の連中は、気のおけないのはいいのですが、くどくどとうるさくつきまとう連中も少なくありません。
他们往往要亲眼看着黄酒从坛子里舀出,看过壶子底里有水没有,又亲看将壶子放在热水里,然后放心;
ともすると、甕(かめ)から酒をつぐところを自分の眼で確かめたうえ、燗壺の底に水がないか検分し、さらにそれを湯につけるまで見とどけないことには安心しない始末である。(竹内訳)
ここでの“黄酒”はもちろん紹興酒のこと。“老酒”と言っても同じ。紹興酒は陶製の甕に入っていて、これを燗壺に移す時に巧みに水を割るのですが、客の方はそうはさせじとじっと見張っています。酒店のおやじのあこぎな手口と酔客の意地汚さを見事にとらえています。
ところが気の利かない「私」には、客の目をごまかして巧みに水を割るという芸当はとても無理です。“在这严重监督之下,羼水也很为难。”「このような厳重な監督の下では」の「厳重」に相当する“严重”は日本語と同じ使い方ですが、今日の中国語では「重大な」「深刻な」ぐらいの意味であって、ここでのようには使いません。或いは日本語の影響を受けているかもしれません。客の目が光っていることを“监督”と表現しているのは面白いですね。
“羼水”(chànshuǐ)という語は他では見かけませんが、周遐寿(魯迅の弟の周作人の筆名)によると、凸字の逆さま状の燗壺の底に水を残しておいて、その上に酒を注いで酒量をごまかすことだそうです。そのような特殊なからくりを表す語ではありませんが、単に「水を割る」「酒を薄める」だけなら、共通語にも“搀水”(chānshuǐ)、“对水”(duìshuǐ)などの語があります。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
魯鎮の酒屋の様子はだいたい以上のとおりであるが、それではこれらの店に来る客は「カウンターにもたれて立ったまま熱いところをひっかけて息をいれる」“短衣帮”(短い仕事着の連中)ばかりかと言うと、そうとも限らない。長衫(チャンシャン)とか長袍(チャンパオ)とか呼ばれる長い中国服を着た文人や金持ち連中も来るには来るが、彼らは別に設けられた奥の間に座ってゆっくり飲むのである。
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2014-05-07 08:45