『孔乙己』を読む(四) 魯迅小説言語拾零(22)
日本語と中国語(405)
(45)虽然没有什么失职……
「厳重な監督」の目を光らせている客の目をごまかして燗壺の底に水を残すなどという芸当が無器用な「私」にはとうてい無理であることを見抜いた主人は、紹介者の手前、首にするわけにもいかず、お情でもっぱら燗番をするだけの退屈で面白くもない役目に「私」を移した。
「紹介者」、原文には“荐头”とあります。旧時、奉公人の周旋・仲介を業とした人のことです。「口入れ屋」といったところでしょうか。呉方言のようです。
この世話をしてくれた「口入れ屋」の顔がよく利いたので、「私」は首にはならずにすんだのですね。原文にはこうあります。
幸亏荐头的情面大,辞退不得,便改为专管温酒的一种无聊职务了。
さいわい、世話してくれた人の顔がよかったので、お払い箱にはならず、お情で燗番だけの張りあいのない役目に移された。(竹内訳)
“辞退”は「辞退・辞職する」ではなく、「解雇・馘首する」こと。“辞退不得”は直訳しますと「首にするわけにもいかない」ですが、これを「お払い箱にはならず」とした竹内訳、こなれたうまい訳ですね。
“专管温酒的一种无聊职务”。燗番だけの張あいのない役目。ここの“无聊职务”の使い方が面白いですね。「閑職」といったところでしょうが、燗番程度の仕事をいうにはおおげさ過ぎます。
それからというもの、「私」は一日中カウンターの内側に立って、ひたすら自分の役目に精を出すのですが、これという失敗(しくじり)はなかったけれども、何とも単調で退屈なものでありました。
上に増田訳に従って「これという失敗(しくじり)はなかったけれども」とした部分に対応する原文は“虽然没有什么失职”です。ここの“失职”の使い方も面白いですね。“失职”は「職務上の失態」ぐらいの意味ですが、先の“职务”とともに、居酒屋の燗番程度の仕事をいうにはふさわしくない語である。
ここはわざとおおげさなことばを選ぶことによって、ある種のおかしみを出そうとしたのでしょうね。
(46)站着喝酒而穿长衫的
加えて、“掌柜是一副凶脸孔”(主人は仏頂づら)、“主顾也没有好声气”(客はむっつり)、これでは陽気にはなれない。ただ孔乙己が店に来た時だけは、“可以笑几声”(笑い声が出た)。それで、“至今还记得”(今でもよく覚えている)というわけです。
ここではじめて孔乙己が登場します。
孔乙己是站着喝酒而穿长衫的唯一的人。(孔乙己は立ち飲みの仲間で、ただ一人長衣を着た客であった。)
“站着喝酒”するのは短い仕事着をまとった連中“短衣帮”でしたね。孔乙己は彼らと一緒に安酒を立ち飲みするところまで落ちぶれていながら「読書人」としてのプライドを捨て切ることができず、相変わらず長衫を身に付けているのですね。
他身材很高大;青白脸色,皱纹间时常夹些伤痕;一部乱蓬蓬的花白的胡子。(彼は背がたいへん高く、青白い顔をして、皺(しわ)の間にはたいてい生傷があり、白毛の混じったもじゃもじゃのあごひげを生やしていた。
皺の間に生傷があったというのは、盗みを働いて殴られでもしたのでしょうが、このことは後に出てきます。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
「厳重な監督」の目を光らせている客の目をごまかして燗壺の底に水を残すなどという芸当が無器用な「私」にはとうてい無理であることを見抜いた主人は、紹介者の手前、首にするわけにもいかず、お情でもっぱら燗番をするだけの退屈で面白くもない役目に「私」を移した。 「紹介者」、原文には“荐头”とあります。旧時、奉公人の周旋・仲介を業とした人のことです。「口入れ屋」といったところでしょうか。呉方言のようです。
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2014-05-14 01:00