『孔乙己』を読む(五) 魯迅小説言語拾零(23)
日本語と中国語(406)
(47)「字は金釘流」わたくしのことです
長いこと漢文や中国語の教師をしてきたくせに酒はほとんど下戸に近く、筆も金釘流です。別に中国のことを勉強しているからと言ってお酒が飲めなければという決まりはないはずですが、宴席などでは何となく肩身が狭い思いをさせられます。もっとも、口では「よくそんな猫の小便みたいなものが飲めるね」なんて憎まれ口を利いてひんしゅくを買っていますがね。「猫の小便」、中国語では“猫儿尿”とか“猫尿儿”とか言っているようです。ついでに記しておきますと、ひところ、男子学生がビールを飲むのをからかって、女子学生が「よくもそんな馬の小便みたいなものが……」と笑っていましたが、当の女子学生もおおっぴらにビールを飲むようになった今日では、“马尿”の方はもう死語と化してしまったようです。
それにしても、下戸の方はまあ体質のようですから恥じることもないのでしょうが、毛筆が使えないというのは寂しいものですね。色紙を出されて、「ボールペンはありませんか」なんてのは様になりませんしね。
(48)“上大人孔乙己”分かるような分からないような
子供の頃、家の経済状況が思わしくなかったので,それこそ「小僧」にでも出すつもりであったのか、親はそろばんを習わせてくれましたが、同じ「読み書きそろばん」なら書く方を習わせておいてくれればなんて、時に恨みたくなったりしなくもありません。
もっとも、小学校の上級であったか中学校であったか、或いはその両方であったか、いずれにしても記憶が不確かなぐらいですから、習字の時間があるにはあったのでしょうが、ほんのまね事程度でしかなかったように思います。お手本帳を見ながら書いて提出したのを先生が朱を入れてくださる。もう一度書いて出さなければならないのですが、怠け者のわたくしは先生の朱の上に半紙を重ねて写そうとして叱られた記憶があります。
またも寄り道が長くなってしまいましたが、『孔乙己』を読んでいて“描红纸”という語に出合って、もう60年以上も昔の習字の時間がよみがえってきました。
“描红纸” 児童の習字手本として楷書体で赤色の字を印刷した紙のことで、その上を筆でなぞるところから“描红”というのである。古くからある練習法で、“描朱”とも称されている。
その“描红纸”の初めの方に出てくる字の多くは「上大人孔乙己」のような筆画の少ない常用字であった。「上大人孔乙己」という字句の意味についてはさまざまな解釈があるようですが、作品の中では“因为他姓孔,别人便从描红纸上的‘上大人孔乙己’这半懂不懂的话里,替他取下一个绰号,叫作孔乙己”(彼の姓が孔なので、周りの人が習字の手本の「上大人孔乙己」という分かるような分からないような文句から取ってきて、彼に孔乙己というあだ名を付けたのである)とされていますので、それに従って“半懂不懂”、分かるような分からないような、つまりはほとんどわけがわからないということにしておきましょう。
なお、東洋史学者の宮崎市定博士は『科挙』という本(中公文庫ほか)の中でこの分かるような分からないような文句について興味深い解釈を提示しておられますので、関心のある方はお読みになるとよいでしょう。「科挙」という旧時の官吏登用試験については後にも触れますが、中国の歴史や文化を知るうえで、この制度の理解は欠かせません。そしてこの制度を理解するうえで最適の本が、宮崎博士の『科挙』であることを申し添えておきましょう。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
長いこと漢文や中国語の教師をしてきたくせに酒はほとんど下戸に近く、筆も金釘流です。別に中国のことを勉強しているからと言ってお酒が飲めなければという決まりはないはずですが、宴席などでは何となく肩身が狭い思いをさせられます。もっとも、口では「よくそんな猫の小便みたいなものが飲めるね」なんて憎まれ口を利いてひんしゅくを買っていますがね。
china,column
2014-05-20 00:30