『孔乙己』を読む(七) 魯迅小説言語拾零(25)
日本語と中国語(408)
(51)続・竊書は偸みとは申さん
前回見たように、酔客の一人から「おれはこの目で見たんだぞ。おまえが何(ホー)家の本を偸んでさ、吊るされてぶたれるところをな」と言われた孔乙己は、“窃书不能算偷……窃书!……读书人的事,能算偷吗?”(竊書(せっしょ)は偸(ぬす)みとは申さん……竊書はな。……読書人のすることで、偸みとは申さんのじゃ)という、苦しい言い訳をします。
偸(ぬす)んだと言われて、竊書の「竊」は偸には入らないと言うのです。いま《现代汉语词典》を引いてみますと、“窃”(竊)の字の説明に“偷”に同じであるとしています。それ以上の説明はありませんが、わたくしの理解では“窃”はかなり硬い文章語であって、現代中国語では普通には“偷”を用います。事情は100年前の魯鎮(ルーチェン)でも同様であったはずです。「竊」などという難しい字は見たことも聞いたこともない短衣を着た立ち飲み連中に向かって、竊書という読書人の行為は、そんじょそこらの偸みやかっぱらいとはわけが違うとばかりに相手を煙に巻こうとします。いや、煙に巻こうとしているのならまだいいのですが、本気でそう思い込んでいるのですから、なんとも哀れであります。
(52)君子固(もと)ヨリ窮ス
「竊書は偸みとは申さん」などと強弁した後、こんどは“君子固穷”などと口走ります。自分は「君子」で、その君子が窮してのふるまいであるから……、と言い訳したいのでしょうが、すでに他家の書物を偸むところまでおちぶれていながら、なお自ら「君子」をもって任じているところが滑稽というか、いっそう哀れを誘います。しかも、その“君子固穷”ということばの使い方がまたおかしいのです。
「君子固(もと)ヨリ窮ス」は『論語』の衛霊公篇に見える孔子のことばです。晩年の孔子は理想の政治を実現するために諸国を遊説して歩きますが、途中、今の河南省陳州を首都とする陳という小国で食糧が尽きて、従者は疲れ果てて立ち上がることさえできなくなります。食糧が尽きた原因については諸説がありますが、『史記』によると、南方の大国である楚が孔子を招聘しようとしているのを察知した陳が、楚が孔子を任用することによっていっそう強大になり、自国の存続が危うくなるのを恐れて軍隊を出して孔子の一行を包囲したからだとされています。
食糧が尽きた原因はともかくとして、直情形の弟子の子路が真っ先に腹を立てて、先生に食ってかかります。君子モ亦(ま)タ窮スルコト有ル乎(カ)。君子でもこんなに困窮することがあるものでしょうか。これに対する孔子の答えが、「君子固(もと)ヨリ窮ス」です。君子だって勿論困窮するさ。
孔子のことばは、さらに「小人窮スレバ斯(すなわ)チ濫(みだ)ル」と続きます。困窮した時にどうふるまうか、そこが君子と小人の分かれ目であるというのであり、窮したあげく竊みに走った孔乙己は、まさに自らが「小人」であることを認めているのである。
(53)なり・けり・べけんや
先に、「あとはもう『君子もとより窮す』とか、『何とかであらんや』とかの難しいことばで」とした「何とかであらんや」は、原文では“‘者乎’之类”である。“者”も“乎”も文語文でよく使われる助詞の類であって、孔乙己が「なり・けり・べけんや」式の文語交じりのことばでしどろもどろの言い訳をしていることを言っているのである。この“者”と“乎”にもう2つ“之”と“也”を加えて“之乎者也”として、文語交じりの気取ったことば遣いを冷やかすのに、今もよく使われる。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
前回見たように、酔客の一人から「おれはこの目で見たんだぞ。おまえが何(ホー)家の本を偸んでさ、吊るされてぶたれるところをな」と言われた孔乙己は、“窃书不能算偷……窃书!……读书人的事,能算偷吗?”(竊書(せっしょ)は偸(ぬす)みとは申さん……竊書はな。……読書人のすることで、偸みとは申さんのじゃ)という、苦しい言い訳をします。
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2014-06-04 01:15