『孔乙己』を読む(八) 魯迅小説言語拾零(26)
日本語と中国語(409)
(54)“好喝懶做”(飲んだくれの怠け者)だが
“之乎者也”(なりけりあらんや)式の文語交じりの難しいことばを使って周りの酔客の笑いを誘うという、いわば道化役の孔乙己であるが、人々が陰でうわさ話をしているのを聞くと、孔乙己はもともとは科挙受験を目指して学問をしたらしい。ところが、結局は府県段階の予備試験にも受からなかったし、また商売をして生計の道を立てる才覚もなかった。そこでだんだん暮らしにくくなって、もう乞食をせんばかりに落ちぶれてしまったというのである。
とは言え、多少は学問をしたことがあり、なかなか上手に字を書いた。そこで人に頼まれて書物を筆写してなんとかその日の飯にありついていた。まだ今日のように印刷が発達し書物が自由に手に入る時代ではなかったから、読みたい本は書き写して読んだのである。また多少余裕のある地主や役人、商人などは人を雇って本を写させたのである。
というわけで、孔乙己のような受験者崩れと言うか、多少は学問をして字は書けるけれどもうとっくに学問を続けて試験に受かるという望みなど失ってしまった者にとって、人のために書物を筆写して一碗の飯にありつくというような仕事の口を見つけることはそう難しくはなかったのであろう。
ところが、である。
可惜他又有一样坏脾气,便是好喝懒做。坐不到几天,便人和书籍纸张笔砚,一齐失踪。(惜しいことに彼には悪いクセがあって、飲んだくれの怠け者ときていた。仕事を始めて何日もたたないうちに、本人はおろか、書物も紙も筆硯(ひっけん)までもが、もろともに行方不明になってしまうという始末である。)
“好喝懶做”、飲んだくれの怠け者。今もよく使う四字熟語です。よく使われるということは、よく見かけるということでしょうか。飲んだくれの働き者なんてのはそう居ませんからね。
「何日もたたないうちに」と訳した“坐不到几天”の“坐”は、机に向かって坐って仕事をすること。今日も一定時間オフィスで仕事をする勤務形態を“坐班”、外回りや自由出勤は“不坐班”と称しています。
“失踪”は行方をくらますこと。もちろん人について使うことばです。これを「書物も紙も……」と人以外の物についても使ったのは、多少のユーモア感を添えるためでしょう。
まあこんなことが度重なったのでは、誰も筆写を依頼しなくなってしまいます。そこでつい出来心から盗みの一つも働くようになったという次第です。
(55)「お行儀」は悪くなかった
とは言うものの、孔乙己は店に来る客の中では“品行却比别人都好”、決してお行儀が悪いほうではなかった。どう「お行儀」がよかったかと言いますと、“从不拖欠”、決して支払いを滞らせることはなかったのです。たまに持ち合わせがなくて黒板に書きつけておいても、一月(ひとつき)とたたないうちにきちんと勘定を済ませて、黒板から名前が拭き消されるのであった。
こんなところにも、当時の田舎町の酒屋の様子がよく描かれていますね。当時も、なじみの客は「つけ」が利いたのです。その「つけ」をきちんと清算してくれる客が、店にとっては「お行儀」のよい客というわけです。
なお、上に「黒板」とした勘定を付けておく板は、原文では“粉板”です。漆塗りの白い板で、そこへ墨汁で書きつけたのです。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
之乎者也”(なりけりあらんや)式の文語交じりの難しいことばを使って周りの酔客の笑いを誘うという、いわば道化役の孔乙己であるが、人々が陰でうわさ話をしているのを聞くと、孔乙己はもともとは科挙受験を目指して学問をしたらしい。ところが、結局は府県段階の予備試験にも受からなかったし、また商売をして生計の道を立てる才覚もなかった。そこでだんだん暮らしにくくなって、もう乞食をせんばかりに落ちぶれてしまったというのである。
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2014-06-11 01:00