『孔乙己』を読む(十) 魯迅小説言語拾零(28)
日本語と中国語(411)
(58)回字有四样写法
孔乙己から“茴香豆的茴字怎样写的?”(茴香豆の茴の字はどう書くかね)と試験された「私」が、乞食同様の人間が私を試験するなんてと、そっぽを向いて取り合わないでいると、「こういう字は覚えておかなくちゃいかん」と、孔乙己はなおも私を放そうとしない。いつか店を持つようになったら、帳面をつけるのに必要だからだと言うのである。
私は内心こう思った。店を持つなんていつのことやら。それにうちの主人だって茴香豆を帳面につけたりなんかしやしない。おかしくもあるし、うるさくもあるので、さも面倒くさそうにこう答えてやった。
谁要你教,不是草头底下一个来回的回字吗?(教えてなんかもらいたくないよ。草かんむりの下に来回の回の字じゃないか。)
すると、孔乙己はすっかり上機嫌になって、二本の指先の長い爪でカウンターの上をたたきながら、うなずいて言う。
对呀对呀!……回字有四样写法,你知道吗?(そのとおり、そのとおり!……回の字には四つの書き方があるが、おまえさん知ってるかな?)
私はうるさくてたまらず、口をとがらせて向こうへ行ってしまう。孔乙己は爪を酒に浸して、カウンターの上に字を書こうとしていたが、私がちっとも乗り気でないものだから、大きくため息をついて、いかにも残念そうな表情を浮かべるのであった。
(59)なぜ爪を長く伸ばした?
主人や他の酔客連中とは話相手になれないと見た孔乙己が、子供の「私」に向かって茴香豆の茴の字を知っているかと尋ねる。「草かんむりの下に来回の回の字じゃないか」と答えたところ、すっかり上機嫌になって、こんどは「回の字の四つの書き方」を知っているかと言う。
上に「来回の回の字」とした“来回的回字”の訳、上手い訳ではありませんね。「来回」なんて日本語は無いのですから。竹内好さんは「一回二回の回」としておられます。いつもながら上手い処理ですね。
ところで、「回の字の四つの書き方」ですが、わたくしは回、囬、囘の三つしか思いつきません。古い書物でもひっくり返せばまだあるのかもしれませんが、通常はこの三つでしょう。魯迅がそこまで計算して「四つ」としたかどうかは定かではありませんが、普通の人の知らない回の字の四つ目の書き方を知っていることが得意なのですから、孔乙己の学問がどの程度のものか透けて見えますね。
上機嫌の孔乙己が「そのとおり、そのとおり!」と指先の長い爪でカウンターをたたくところの原文は“将两个指头的长指甲敲着柜台”です。なぜわざわざ“长指甲”としたのでしょうか。映画や古い本の挿絵を注意深く見てみますとすぐ気がつくことですが、昔のインテリや地主、役人、つまりいわゆる読書人階級の人の中には異様なほど長く爪を伸ばしている人がいます。危ないし仕事をするうえでも不便であるに違いありません。長いぞろりとした上着もそうですが、彼らは自分は労働しなくてもよい階級の人間であるということを誇示したいのに違いありません。
「纏足(てんそく)」と呼ばれる女子の風俗も、なぜ痛い思いをしてまであんなに固く縛るのかについていろいろな説があるようですが、やはり自分は家事労働などとは無縁の階級に属しているということを誇示したい意識がどこかに働いているに違いありません。 (執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
孔乙己から“茴香豆的茴字怎样写的?”(茴香豆の茴の字はどう書くかね)と試験された「私」が、乞食同様の人間が私を試験するなんてと、そっぽを向いて取り合わないでいると、「こういう字は覚えておかなくちゃいかん」と、孔乙己はなおも私を放そうとしない。いつか店を持つようになったら、帳面をつけるのに必要だからだと言うのである。
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2014-06-24 16:15