『孔乙己』を読む(十二) 魯迅小説言語拾零(30)

日本語と中国語(413) (62)还欠十九个钱呢   そのふるまいが大人や子供たちの笑いを誘って、一見陽気な道化役を演じているかに見える孔乙己ですが、では彼はこの居酒屋において欠くことのできない重要人物かと言うと、決してそうではないのです。    孔乙己是这样的使人快活,可是没有他,别人也便这么过。(孔乙己はこのように人を愉快にさせたが、しかし、彼がいなくてもほかの者は別にどうということはなかった。)   居れば座をにぎやかにしてくれるが、居ないからといって、誰も思い出してはくれないという、居ても居なくてもどちらでもよいという存在であったというのです。    有一天大约是中秋前的两三天,掌柜正在慢慢的结帐,取下粉板,忽然说,“孔乙己长久没有来了。还欠十九个钱呢!”我才也觉得他的确长久没有来了。(ある日、たぶん中秋節の2、3日前のことであったと思うが、主人はゆっくりと節季の帳尻合わせをしていたが、粉板を取り外して、ふとつぶやいた、「孔乙己は長いこと姿を見せないなあ。まだ19文貸しがある。」言われて、私もはじめて確かに孔乙己が長いこと来ていないのに気がついた。)   中秋節は言うまでもなく旧暦の8月15日。旧時の中国ではこの日と、5月5日の端午節、それに年末が掛け売り商売の決済日であった。「私」が「たぶん中秋節の2、3日前のことであったと思う」と言っているのは、その頃でなければ主人が勘定を締めるはずがないからである。主人に言われて、私ははじめて孔乙己が長いこと店に来ていないことに気づくのであるが、その主人とて、掛けが残っているところからはじめて孔乙己を思い出したのである。 (63)他打折了腿了   主人のつぶやきを耳にして客の一人が言います。    他怎么会来?……他打折了腿了。(来られるわけがないだろう。……足をへし折られたんだから。)   驚く主人に客はさらに続けます。       他总仍旧是偷。这一回,是自己发昏,竟偷到丁举人家里去了。他家的东西,偷得的吗?(あいつは相変わらず盗みを働いていたんだ。こんどは,ほんとにどうかしてたんだね,こともあろうに丁(てい)挙人の邸の物に手をつけたんだから。あの邸の物は盗むわけにはいかん。)   「挙人」というのは科挙の府県段階の試験「郷試」に合格した者のことです。先に“你怎的连半个秀才也捞不到呢?”と孔乙己がからかわれた「秀才」はこの「挙人」になるための試験の受験資格保持者のことです。いわば「秀才」は大学入試資格の、「挙人」は卒業資格の保持者といったところでしょうか。   孔乙己はその「秀才」の資格すら得られなかったのですから「浪人」中。というよりも、とっくに受験をあきらめています。   一方の丁挙人の方は科挙の最終段階の「進士」になるための試験を残すのみ。「挙人」の資格を有するだけで、地方にあってはもう十分に名士であって権勢を誇ることができます。その挙人の丁旦那の邸に盗みに入ったのですから、周りから見れば“自己发昏”、気が触れた、どうかしているということになるわけです。   “打折了腿了”というのは、もちろん私的な制裁に遭ってのことでしょう。挙人ともなれば、邸内に屈強の用心棒を何人も抱えているのが通常でした。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
そのふるまいが大人や子供たちの笑いを誘って、一見陽気な道化役を演じているかに見える孔乙己ですが、では彼はこの居酒屋において欠くことのできない重要人物かと言うと、決してそうではないのです。
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2014-07-08 00:45