『孔乙己』を読む(十四) 魯迅小説言語拾零(32)

日本語と中国語(415) (66)酒要好   前回、“这一回是现钱,酒要好”の“酒要好”について、「酒は上酒のほう」(竹内訳)、「酒は上等のやつをくれ」(増田訳)とする訳に疑いを挟み、酒のランクを言っているのではなく、水を加えてごまかしたりしていないのをと言っているのではないかと記した。このことの根拠を少し述べてみたい。   「私」が酒屋の小僧をしていた20数年前の酒の値段が1碗銅銭4枚であることは作品の冒頭に記されているし、わたくしのこの文章においても触れておいた。また、この店では燗(かん)をする際に巧みに徳利の底に水を残しておいて酒量をごまかすのが常であったことも、触れられているとおりである。「私」は無器用でこの水割りを巧みにできなかったために、ただ燗の番をするだけの“无聊职务”に追いやられた。   のちほど引用するつもりであるが、「私」が酒を温めて敷居の上に置くと、孔乙己はポケットからかっきり銅銭4枚を取り出して「私」に手渡している。つまり、1碗が4文の酒を注文して4文の代金を払っているのであり、別に上等の酒を注文したわけではないのである。   というわけで、“酒要好”は「薄めないでくれよ」ぐらいに解するのがよいと思うのだが、どうだろうか。 (67)“蒲包”こそ「かます」   ついでにもう一つ注記しておきたい。前回、久しぶりに姿を見せた孔乙己について、「ぼろぼろの袷(あわせ)を着て、両足をあぐらに組み、下にはむしろを敷いて、それを荒縄で肩に吊(つる)している」と記した。ここの「下にはむしろを敷いて」の原文は“下面垫一个蒲包”である。「むしろ」と訳した“蒲包”は蒲(がま)の葉茎で編んだかます状の袋のことである。   「かます状」の「状」は余計かな。「穀物・塩・石炭などを入れるための、わらむしろの袋」(『岩波国語辞典』第七版)。この袋を「かます」というのは、「蒲簀(かます)」の意で、昔は蒲で作ったところからとか。ならばどうして「叺」などというけったいな国字を当てたのでしょうね。   上の「かます」、まったくの余談ながら、戦後まもなくの頃、北海道で鰊(にしん⦆や数の子を詰めて配給があった。豊漁だったのでしょうか。副食というよりも主食に近い食べ方をした記憶がある。   「かます」と称されるわらむしろの袋がもともとは蒲で作られていたのなら、孔乙己が尻に敷いていた「蒲包」こそ正真正銘の「かます」ではないか。   この「蒲包」、紹興一帯では棉花を詰めるのに使用したとのこと。このことは倪大白という学者の《魯迅著作中方言集释》(遼寧人民出版社、1978年12月、1981年9月増訂本)という本に出ているし、また直接にも倪氏から教わった。30余年前,北京滞在中のことで、当時倪氏は中央民族学院に在職されていた。紹興出身の方で、紹興の方言で魯迅の文章の一節をテープに吹き込んでいただいたりもしたが、その後音信が途絶えてしまったのが悔やまれる。 (68)不要取笑   酒を注文した孔乙己に主人はいつもの調子で、笑いながら話しかけます。「孔乙己、おまえさんまた盗みを働いたな。」しかし、今回は、孔乙己はいつもとは違って、“不要取笑”(からかわないでくれ)と言うだけで大して弁解しません。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
前回、“这一回是现钱,酒要好”の“酒要好”について、「酒は上酒のほう」(竹内訳)、「酒は上等のやつをくれ」(増田訳)とする訳に疑いを挟み、酒のランクを言っているのではなく、水を加えてごまかしたりしていないのをと言っているのではないかと記した。このことの根拠を少し述べてみたい。
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2014-07-23 10:45