『孔乙己』を読む(十五) 魯迅小説言語拾零(33)

日本語と中国語(416) (69)なぜ4文?   “不要取笑!”(からかわないでくれ)と言う孔乙己に、なおも主人:   取笑?要是不偷,怎么会打断腿?(からかってる?盗んでなきゃ,足を折るわけがなかろうが。)   “跌断,跌,跌……”(こ、こ、転んで折ったんだ)と小さな声で答える孔乙己の眼は、もう言ってくれるなと懇願しているかのようです。   この頃にはもう何人かの客が集まっていて、主人と一緒になって笑っています。「私」は酒を温めて、持って行って、敷居の上に置いてやります。   すると、孔乙己は破れたポケットから銅銭4枚を取り出して「私」の手の中に置くのですが、見るとその手は泥だらけであった。なんと、彼はその手でいざってきたのでした。   ここで孔乙己が取り出した銅銭が4枚であることにもう一度注意していただきたい。   先に孔乙己が店に現れた時は、“温两碗酒,要一碟茴香豆”(2杯温めてくれ、それから茴香豆(ホイシアンドウ)を1皿な)と言って注文し、銅銭を9枚並べています。そこを引いた際に、周作人さんの本によると、燗徳利はちょうど碗に2杯分の酒を温められていて、よほど不粋な客でない限り1杯、つまり徳利に半分だけ注文するようなことはしないという意味のことを記しました。   ところが今、孔乙己は1杯だけ注文しているのです。しかも、つまみの茴香豆もなしに。つまり、かっきり4文を握りしめて店にやってきたわけですね。   やがて、孔乙己は酒を飲み終わると、周りの人の笑い声の中を、手を使っていざなりながらのろのろと行ってしまうのでした。 (70)“的确死了”本当に死んでしまった   それ以来、また長い間孔乙己は店に姿を見せません。大晦日(おおみそか)が来て、主人は粉板を下ろして、また“孔乙己还欠十九个钱呢!”(孔乙己はまだ19文貸しがある)と言います。   翌年の端午(たんご)の節季の時も、またこの“孔乙己还欠十九个钱呢!”を繰り返します。   けれども、中秋節の時には、もう何も言いません。もう一度大晦日が来ても、孔乙己は姿を見せませんでした。    我到现在终于没有见――大约孔乙己的确死了。(それきり今に至るまで――たぶん孔乙己は本当に死んでしまったのだろう。)     これが結びの一文である。“的确死了”とあるのは,先に盗みに入って足を折られたといううわさ話の中に“怎样?……谁晓得?许是死了”(どうなったかって?……誰が知るもんか。おおかた死んだろうさ)とあるのを受けて、「今度こそ本当に」と言っているのである。 (71)魯鎮は紹興の町か村   作品の冒頭に述べられているように『孔乙己』の舞台は魯鎮(ルーチエン)の鎮のはずれにある咸亨(シエンホン)」酒店という酒屋である。魯鎮という地名は架空のもので、魯迅の他のいくつかの作品にも出てきて、しかもそれぞれに設定は異なる。ただし、魯迅の弟の周作人も言っているように、この作品における魯鎮は作者の郷里紹興の町か村であると考えてよさそうだ。   咸亨酒店も実在した。もっとも今日の紹興の中心街にある大酒店とは比べものにならない小さな居酒屋ふうの店であったようだが。モデルらしき人物もいたらしい。そのことは次回に。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)
“不要取笑!”(からかわないでくれ)と言う孔乙己に、なおも主人: 取笑?要是不偷,怎么会打断腿?(からかってる?盗んでなきゃ,足を折るわけがなかろうが。) “跌断,跌,跌……”(こ、こ、転んで折ったんだ)と小さな声で答える孔乙己の眼は、もう言ってくれるなと懇願しているかのようです。
china,column
2014-07-29 22:30