逞しい中国女性――帰国後半年で早くもビビンバ2号店開店

日本経営管理教育協会が見る中国 第317回--水野隆張(日本経営管理教育協会営業部長)
● 突然の深夜の電話
6年前のある日の深夜、自宅の電話がけたたましく鳴り響いた。眠い目を擦りながら受話器を取ると、暫く無言が続いたが、次の瞬間沈んだ声で「たった今主人が亡くなりました。どうしてよいかわかりません!助けて下さい」という中国語の講師Kさんの奥様Qさんからの電話だった。黒竜江省ハルピンから来日して東京大学博士課程で、日中異文化比較学を研究中のKさんは、日中韓の学術交流の事務局を勤めていたが、過労のため体を壊して東大病院に入院中だったのであった。
● 多くの支持者に囲まれていたKさん
翌日、東大病院に駆けつけると、上海から急遽来日していたKさんのお姉さんと奥様Qさんが、東大病院に出入りの葬儀屋と葬儀について交渉中だった。葬儀を無事終了し、人格識見ともに優れたお人柄であったKさんには多くの支持者があり、予想以上に寄せられたお香典を元に、Kさんの研究実績である「西行法師」に関する書籍が関係者の手で出版された。
● 中国女性の強さ
来日して数年、母国語の韓国語、中国語以外に日本語をご主人Kさんから習っていた奥様Qさんは、知人も友人もまだ少ない東京砂漠に一人残された、いわば残留孤児となった。
私や私どものグループで、中国語の講師や翻訳・通訳などの仕事をお世話し、出来る限りの応援を惜しまなかったが、不十分だった。
ご主人Kさんが創立した株式会社を引き継ぎ、慣れない事業ではあるが、中国から建築材料の輸入ビジネスを始めた。「世の中にはいろいろな人がいるから注意しなさい」と話したら、「私は人を見分ける自信があります」と逞しいお返事だった。
東日本大震災を契機に、母国への帰国を決意、焼き肉の飲食店経営を目指すことにした。東京は赤坂で焼き肉店にいわば見習いとして約1年間働き、日本における飲食店経営のノウハウを学んだ。
● 日本的経営を中国で実行 早くも2店目を開業
母親や兄弟のいる故郷へ戻らず、東京で知り合い、先に帰国していた中国人知人がすでに飲食店を経営していた福建省アモイでの開業を決めた。生まれ育った韓国料理にも自信があり、東京で経験し、当初目指した焼き肉店の替わりに「ビビンバ」店を、、帰国後半年足らずの時期に開業までこぎ着けた。
日本滞在中に身につけた日本の良さをお店の経営に役立たせている。中国の一般的な傾向と比較して、お店や従業員に清潔感がありきれいなこと、お客さんの目線を大事にする接客態度、提供する飲食物の品質と価格がバランスしていること、経営者として従業員をうまく褒めてやる気になるように心がけているという。
アモイは中国全土からの観客で賑わっており、1号店はアモイ大学に近い立地のためお客の多くは観光客で席数は16とかわいいが、アルコールを置かないため、お客の回転は速く効率的である。中国の観光客が気楽に利用できる価格帯であり、当初の見込みよりは繁盛している。
1号店開店から1年も経過しないうちに、ラーメン店や地ビール店などで2号店を検討したが、やはり自信のもてるビビンバで、席数が2倍ある2号店を2014年7月始めに開業できた。2号店開業後間もないが、当初の見込みを上回り、もう3号店を夢見始めている。何とも逞しくやさしい中国人女性である。
写真は開店したビビンバ2号店(中央)。(執筆者:水野隆張・日本経営管理教育協会営業部長 編集担当:水野陽子)
6年前のある日の深夜、自宅の電話がけたたましく鳴り響いた。眠い目を擦りながら受話器を取ると、暫く無言が続いたが、次の瞬間沈んだ声で「たった今主人が亡くなりました。どうしてよいかわかりません!助けて下さい」という中国語の講師Kさんの奥様Qさんからの電話だった。
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2014-08-03 15:45